いいモノをたくさんみることが大切
旅行に行くにしても目的をはっきりしておかないと、写真を撮る時、どんなふう撮っていいのかのか分らなくなる、と書いた
目的がはっきりし、被写体も決まる
どんな風に撮るか、構図を決める
光があたる方向や影の部分を決める
レンズを決め、絞りや、シャッタースピードを決める
そして、シャッターを押すと、写真が撮れる
技術的にはある程度の写真は撮れる
が、しかし
いわゆる感動する写真や、ハッとさせる写真が撮れるかは別である
どんな写真が感動するのか、ハッとするのか
どんな思いでその場に臨んで撮っているか
美しいと思っているか、
面白いと思っているか、
感動しているか
その時に感じたことを写真に写し込むことが出来るかどうかは、ある程度のテクニックがあればでき、
そして、そのテクニックは、研鑽すればそこそこ身につけることが出来る
だが、写真はテクニックだけで撮る物ではない、
テクニックは写真を写す時に必要なものではあるが、
感動する気持ちを持っていないと、人を感動させる写真は撮れない
自分が感動する写真は撮れない
感動する気持ちを持つ事や、奇麗と思う感情や、面白いと思う気持ちは身につけることが出来るのであろうか
できると思う
それには、いいモノを見る事
すなわち、良い写真が映っている本や、ギャラリーの写真など、目的を持って撮られた写真をたくさん見て、自分自身が感動するのである
見た写真の中には何か感じる写真があるはずだ。
なんとなく、「これいいなー」と思うかもしれないし、もう一回見たいと思う写真かもしれないし、何だろうと思うかもしれないし、何となく好きだと思うかもしれないし、美しいと思うかもしれないし、だんだん、自分なりに感じるものが出てくる
なるべく、早く見る事
じっくり見る必要はない 時間がかかってしょうがないし、感動が薄れてしまう
写真を見る目的は感じる物があるかどうかなのであり、写真の評価をするためではないのだから
そうすることで、感性というものがある程度は身につく と思うのである
どの程度身に付くかは、そこはもう、努力と天性かもしれない
感動する気持ちを持って、被写体と出会い、所定のテクニックを使って、被写体を写真に写す
そうする事で、きっと感動が写真に写し込めるようになるし、いいと自分で思える写真が撮れるようになる
感動のない人生よりも、感動する気持ちを持っていた方が世の中絶対おもしろいし、得だと思う
目的がはっきりし、被写体も決まる
どんな風に撮るか、構図を決める
光があたる方向や影の部分を決める
レンズを決め、絞りや、シャッタースピードを決める
そして、シャッターを押すと、写真が撮れる
技術的にはある程度の写真は撮れる
が、しかし
いわゆる感動する写真や、ハッとさせる写真が撮れるかは別である
どんな写真が感動するのか、ハッとするのか
どんな思いでその場に臨んで撮っているか
美しいと思っているか、
面白いと思っているか、
感動しているか
その時に感じたことを写真に写し込むことが出来るかどうかは、ある程度のテクニックがあればでき、
そして、そのテクニックは、研鑽すればそこそこ身につけることが出来る
だが、写真はテクニックだけで撮る物ではない、
テクニックは写真を写す時に必要なものではあるが、
感動する気持ちを持っていないと、人を感動させる写真は撮れない
自分が感動する写真は撮れない
感動する気持ちを持つ事や、奇麗と思う感情や、面白いと思う気持ちは身につけることが出来るのであろうか
できると思う
それには、いいモノを見る事
すなわち、良い写真が映っている本や、ギャラリーの写真など、目的を持って撮られた写真をたくさん見て、自分自身が感動するのである
見た写真の中には何か感じる写真があるはずだ。
なんとなく、「これいいなー」と思うかもしれないし、もう一回見たいと思う写真かもしれないし、何だろうと思うかもしれないし、何となく好きだと思うかもしれないし、美しいと思うかもしれないし、だんだん、自分なりに感じるものが出てくる
なるべく、早く見る事
じっくり見る必要はない 時間がかかってしょうがないし、感動が薄れてしまう
写真を見る目的は感じる物があるかどうかなのであり、写真の評価をするためではないのだから
そうすることで、感性というものがある程度は身につく と思うのである
どの程度身に付くかは、そこはもう、努力と天性かもしれない
感動する気持ちを持って、被写体と出会い、所定のテクニックを使って、被写体を写真に写す
そうする事で、きっと感動が写真に写し込めるようになるし、いいと自分で思える写真が撮れるようになる
感動のない人生よりも、感動する気持ちを持っていた方が世の中絶対おもしろいし、得だと思う
by moripapa_55
| 2013-04-12 00:06
| 日常